
平成31年度
西村 陽子
YOKO NISHIMURA
今年度、聖マリアンナ医科大学産婦人科学教室に入局をさせて頂きました西村陽子です。
東京都町田市で生まれ育ち、付属高校から東海大学医学部に進学し、平成17年に卒業をしました。学生時代は6年間バスケットボール部で勉強の合間に汗を流しておりました。
私が医者を目指したのは中学1年の時でした。小学校の卒業式では将来はピアノの先生になりたいと言っていましたが、中学生になり1学期の作文には医者になりたいと書いていました。よほど何か大きな転機があった訳ではないのですが、救命医になりたいと思ったことがきっかけでした。親族に医者は一人もおりませんので、さぞかし両親もびっくりしたと思います。それから救命医になる夢は一度も変わることなく、付属校からの推薦を頂き東海大学医学部に進学しました。
救命医を目指していた私がなぜ産婦人科医になったかというと、医学部5年生の時に娘を出産したことが大きな転機となりました。大学の先生方、妊婦健診に通っていた産婦人科の先生、そして家族、たくさんの人のサポートがあったおかげで、私は一度も学校を休むことなく無事に出産することができました。そして、妊娠中ずっと自分のことのように健診に通う私を心配して下さり、人生の大イベントを終えた私に「おめでとう!本当によく頑張ったわね」と言ってくださった産婦人科の先生の姿をみて、自分も産婦人科医になりたいと決心しました。同時に高校生の頃に産科で1日看護実習に参加した時に、“産科は病院の中でおめでとうと言えるところ”という助産師さんの言葉を思い出し、益々産婦人科医を目指す気持ちが強くなったことを覚えています。
卒業後は地元の総合病院にて初期研修を終え、そのまま産婦人科医として約11年間勤務しました。総合病院なので産科・婦人科に特化せず、分娩も婦人科手術も何でもやらせて頂きましたが、その中でもやはり周産期に興味がありました。その後勤務していた病院では無痛分娩や生殖医療の勉強もさせて頂き、そこで聖マリアンナ医科大学の先生方と一緒にお仕事をさせて頂く機会があり、この度入局させて頂くこととなりました。
振り返れば総合病院にいるときにも聖マリアンナ医科大学の先生方と一緒にお仕事をさせて頂いていたので、今回の入局は何かご縁を感じるものがあります。こんな私を快く受け入れて下さった教授を始め医局の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。聖マリアンナ医科大学産婦人科学教室の一員として、自分にできることを一つ一つ着実にやっていきたいと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。そして、これから一人でも多くの若手の先生方が産婦人科に興味を持ち、産婦人科医になりたいと思ってもらえるように尽力できたらと思っております!
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