Newcomer18

平成26年度
黄 志芳
WONG TZE FANG

マレーシア➡仙台➡横浜➡マリアンナ
「どうして医者になりたいの?どうして産婦人科?どうして日本?どうしてマリアンナ?」とよく聞かれ、正直自分も分からなくなってきました。でも、頑張って答えます。
反抗期を経験しないまま思春期を終えて、唯一親に反抗したのは日本に来る決意でした。「遠いから、やめて。」と言われましたが、どうしても自立したくて、一人になりたくて、日本に来てしまいました。答えになるのでしょうか、これがもっとも正直で粉飾のない答えです。
私が8歳時、母親が卵管妊娠でショックになり、2回の手術の後(初回は3年目の経験の乏しい医師による執刀で、縫合不全、創部感染症でベテランの医師による再手術を受けました)一命を取り留めました。それ以来、ずっと医者になれと言いつづけられましたが、中々「うん。医者になります!」と同意しませんでした。日本に来る1年前に医学部を目指しました。医者になったのは母親のお陰でもあり、女性を守る科の産婦人科を選ぶのも自然な流れではありました。
嫌な大学の受験の話をしませんが、その過程を経て、研修医もやって思ったのは、試験対策的な勉強は医者の世界に通用しないことです。良い医者になるための勉強法さえ身に付いていれば、誰でも素晴らしい医者になれると信じます。一応難関校から卒業しましたが、良い医者になるか、これからの頑張り次第と理解しています。現時点、東北大学から卒業した事は自負できることは一つもありません。
医学部卒業後、大学院に入り、ピペットを動かす日々を過ごしました。その間大学2年生より付き合っていた彼氏と結婚し、彼の就職に伴い、一時期遠距離となっていました。卒業後、お世話になっていた東北大学産婦人科に残る選択肢はありましたが、教授に土下座して、横浜で夫と合流する事にしました。
国際親善総合病院で初期研修をしている間、2年目に神奈川産婦人科研修医の合宿に参加し、初めてマリアンナの良さを知りました。マリアンナのフランクな雰囲気が好きで、研究もモチベーション次第で携わる事ができ、素晴らしい医局と思い、入局を決めました。医者になる事は責任も伴ってくるのはどこも同じですが、厳しいけれども、責任の重さとどう立ち向かうか、順序よく教えてくださるので、専門医を目指す若手医者にバランスの良い医局と思います。
迷いながら、人生の岐路に何度も選択を求められ、周りと多少違う選択肢をしてきましたが、今の所後悔はありません。私みたいなオーソドックスではない人を快く受け入れてくださったマリアンナに多大な感謝を感じています。最小限の迷惑、最大限の貢献ができるように日々頑張りたいと思います。